クソ批評家を、無視しない。


仕事で徳島県徳島市に行きました。そこを訪れたときがたまたま寒い日で雪がちらちらしていました。たしかに寒いのだけど、私が住んでいる松江と違う感じがしました。徳島の方が湿度が低いのかな?
今回初めて徳島に行き、地元の人達(BARでの出会いはサイコー)とお話ししたのですが、関西風のなまりなのですが大阪の人のような軽快なボケやツッコミはなく、なんとも変わった感じがしました。その辺にいる人に対して「刀で切るまね」をして関西人との反応の違いを見てもよかったですね(笑)
さて、関西人と言えば少し仲良くなると辛口の批評をすることで有名(!?)ですが、批評をすることって悪いことなのでしょうか?
クソ批評家の見分け方: http://president.jp/articles/-/5518 より

「やっぱ『批評家』って最悪。批評家でありがちなのは、批判するだけで具体的な提案がないとか、自分が成果出してないのに他人を批判するとか、批判するくせに自分は大志をもっていないとか。こんなヒトは百害あって一利なし」

この記事では「批評と、それを改善するための行動、または行動の提案はワンセットなので、批評するだけって無責任すぎる」ってことが述べられていると思います。著者のプロフィールを見るとめっちゃかっこいい生き方をされている人だってことが分かるし、この記事にも説得力があって共感できます。(この著者の他の記事もとても好きです)
しかしながら、悪いところ(批評の対象)を改善するのは難しく、できる人が少ないってことを忘れてないかな。
記事には、

(2)権限や予算を与えられても自分では出来ないことは言わない

なんてことも書いてある。
私は、批評はどんどんしたらいいと思う。別に改善方法とセットでなくてもいいです。私の方でその批評に共感できることだけを選んで、私が改善できることを、私ができる範囲でやればいいと考えています。それなのに「自分では出来ないことは言わない」なんてことになると、改善するきっかけとなる「批評」ができなくなってしまいます。だいたい難易度が「改善 >>>>>>> 批評」みたいな関係だと思うので、ほとんど批評されなくなってしまいます。
私が NaCl に入社してから10年が経ち、後輩も増えてある程度の立場になりました。普通に仕事をしているだけでは「批評」なんてされなくなりました。改善するチャンスを失っているのです。だからこそ、後輩と一緒にご飯を食べたり、マージャンをすることで気軽に話をできる空間をつくり、批評を聞くチャンスを作っています。そう、単にマージャンがやりたかったけではないのです(キリッ)
だって、批評をされなきゃ、成長できないでしょ?